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幸せの探求


病気で苦しむ猫を少しでも減らしたい…

どうしたら猫を病気から救うことができるだろう…

 

すべての始まりはそんな感じ。

過去のわたしは、

猫好きが高じて、猫のために何かがしたくて、毎日そんなことばかりを考えていた。

 

命を救えると驕ったことはない、でも、勘違いしたことはある。

今はもう、命は救うものではなく、命は敬い尊ぶものだと理解している。

 

30代で出会った『自然療法』の世界に、私は新しいおもちゃを与えられた子供のように夢中になった。

でも、それまでに積み重ねてきた既成の概念を打ち破るまでは相応の苦しみと葛藤、そして精神の鍛錬も必要だった。

 

『自然療法』は、技術ではなく、私たちの感性を磨き賢く生きるための導き手のようなものだ。

古の人たちが残したスピリッチュアリティー(精神性)に溢れた古典や経典、教義、彼らの教えの中にある偉大なる叡智の原石を少しずつ受け取りながら、この世の在り方、自然のことわり、万物の存在、あるがままの大切さ、について思いを馳せて生きている。

 

そして、健康とは何か、病とは何か、幸せとは何か、出るはずのない答えを求めて、いつかたどり着けるかも知れないと、そんなことばかりを考えて過ごしている。

しかも猫のために。

一種の変人だろうと思う。

 

猫を尊び敬う自然療法家として、ただひたすらに猫と自分の幸せの道を極めるだけの日々。

ある意味、なんて贅沢な人生なのだろうと思う。

 

この麗しき贅沢を与えてくれた自然の寛大さ、先人達の教え、自然療法の素晴らしさを伝えるには私の言葉はまだまだ不自由だ。

想いだけはどんどん溢れて、でも、言葉にしようとするとなかなか適切な言葉が浮かばない。

だからあまり多くを語れない。

 

もちろん療法家になることは幸せのゴールではない。

それでも、

そこから眺める世界で、ふとした瞬間に気づく猫たちの健やかな寝息に、えも言われぬ感情が湧きあがるとき、

その生命の、泣きたくなるほどの愛おしさとありがたさに、何度でも身を委ねたくなるのだ。

 

そうしてまた唐突に気づく。

この世界で猫たちと共にある限り、その瞬間は何度でも、繰り返し繰り返し続いていくのだという幸せに。

 

 

2023.06.7 私を自然療法の世界に導いてくれた全ての必然と偶然に感謝の気持ちを込めて